ヘブル  13章13節
13:13 ですから、わたしたちはのそしりを担い、2営所の1外に出て、へと行こうではありませんか。
13章13節 フットノート1

「営所の外に」と「幕の内側に」(6:19)とは、本書における二つの際立った点です。幕の内側に入るとは、至聖所へ入ることを意味し、そこでは主が栄光の中で御座に着いておられます。営所の外に出ていくとは、宗教から出ることを意味し、主はこの宗教から拒絶されて追い出されました。これは、わたしたちが霊の中にいて、宗教から出なければならないことを象徴します。経験から言えば、今日、実際の至聖所はわたしたちの霊であり、実際の営所は宗教です。わたしたちは、霊の中にいて、天のキリストを享受すればするほど、ますます宗教の営所の外に出て、苦難を受けたイエスに従っていくでしょう。霊の中にいて栄光を受けたキリストを享受することは、わたしたちが宗教の営所の外に出ていき、拒絶されたイエスに従うことができるようにします。わたしたちは霊の中にとどまって、栄光の中におられる天のキリストに触れれば触れるほど、ますます宗教の営所から出て、卑しめられたイエスへと行き、彼と共に苦しむでしょう。天におられるキリストに触れ、彼が栄光を受けられたことを享受することによって、わたしたちは活気づけられ、地上で十字架の狭い道を取り、彼のそしりを負うことができます。本書はまず、天のキリストと天の至聖所についてはっきりと見せます。次に、いかにして地上で十字架の道を歩むか、すなわち、いかにして営所の外に、宗教の外に出てイエスへと行き、彼のそしりを負うかを示します。モーセでさえ、イスラエルの子たちが金の子牛を拝んだ後(出第32章)、営所の外に出ていき、主を追い求めるすべての人も、そこへ彼に会いに行きました。なぜなら主の臨在も主の語りかけも、そこにあったからです(出33:7―11)。わたしたちは営所の外に出て、主の臨在を享受し、主の語りかけを聞かなければなりません。これらすべてのことは、実行的で正常な召会生活のために必要です。
 至聖所、十字架の道(イエスのそしりを負って、営所の外に出て、イエスへと行くことで象徴される)、王国は、本書で述べられている三つの重要な事柄です。至聖所とその豊かな供給は、わたしたちが十字架の狭い、困難な道を取ることができるようにし、この十字架の道は、わたしたちをその出現における王国へと導き入れ、栄光の褒賞を得させます。


JGW日本福音書房 :ウオッチマン・ニーとウイットネス・リーの務めを出版する書房