1テサ  1章3節
1:3 あなたがたの2信仰の1働きと、愛の3労苦と、4わたしたちの主イエス・キリストにある望みの忍耐とを、わたしたちのまたの御前で絶えず思い起こしています.
1章3節 フットノート2

ここの信仰は、働きの性質と力を指しています。愛は労苦の動機と特徴であり、望みは忍耐の源です。これは、信仰と愛と望みをもって構成された、真のクリスチャン生活の構造を描写しています(参照,Iコリント13:13のノート1)。そのような生活は、信者の天然の能力から始まるのではなく、彼らが信じている神であられるものを注入されて始まります。そしてこの生活は、信者たちの犠牲的愛によって遂行されます。この犠牲的愛とは、一方で、彼らのためにご自身を与えてくださった愛する主に対するものであり、もう一方では、愛の中でキリストの死を通して贖われた肢体たちに対するものです。そして、この生活は、彼らの愛する方、すなわち、彼らを迎えに来ると約束された方、この主を待ち望む望みの保持する力によって、変わらず継続し、立ち続けます。そのような生活が、この手紙の内容です。
 一か月足らずの使徒の短期間の務めを通して、テサロニケの信者たちがそのような生活をすることができたとは、何と驚くべきことでしょう! このことは、信仰の全き確信をもって、完全な福音を典型的な未信者に宣べ伝え、クリスチャン生活に関するさらに深い真理を初信者に供給するようにと、わたしたちを励まします。
 若いテサロニケに在る召会に対する二つの手紙の中で、正当な召会生活のための真のクリスチャン生活が、簡潔に啓示されています。それは、主の再来の観点から見た三つの面がある生活です。一つの面は、始まりとしての信仰、すなわち基礎、もう一つの面は、過程としての愛、すなわち構造、もう一つの面は、究極としての望み、すなわち完成です。信仰は神に向かってであり(8節)、愛は聖徒たちに向かってであり(3:124:9―10)、望みは主の来臨においてです(2:19)。第一の手紙は励ましと慰めのためであり、第二の手紙は是正と均衡のためです。信者たちは、主の再来の望みの中で信仰と愛によって生き、歩き、働くべきです。しかし、主はすぐにも来られるのだから、わたしたちは長期の計画を立てる必要はない、という誤った観念を持つべきではありません。召会生活のためのクリスチャン生活に関する使徒パウロの手紙は、ローマ人への手紙で始まり、この二つの手紙で結んでいます。


JGW日本福音書房 :ウオッチマン・ニーとウイットネス・リーの務めを出版する書房