その霊は、神がアブラハムに約束されたすべての国民に対する祝福であり、キリストにある信仰を通して信者たちが受けたことを、この節は示しています。その霊は、5節(5節)のノート2で述べられたように、調合された霊であり、実は受肉、十字架、復活、昇天、降下を通して、その三一の中で手順を経られた神ご自身です。それは、わたしたちが彼をわたしたちの命、またあらゆるものとして受けるためです。これが神の福音の焦点です。 神がアブラハムに約束された祝福の物質的な面は良き地であり(創12:7.13:15.17:8.26:3―4)、それはすべてを含むキリストの予表でした(参照,コロサイ1:12とノート2)。キリストが最終的に、すべてを含む命を与える霊として実際化されているのですから(Iコリント15:45.IIコリント3:17)、約束された霊の祝福は、アブラハムに約束された地の祝福と一致しています。実は、わたしたちが経験するキリストの実際化としてのその霊は、わたしたちが享受する神の満ちあふれる供給の源としての良き地です。
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