使徒  10章47節
10:47 「だれが水を止めて、1わたしたちと同じように聖霊を受けたこの人たちが、バプテスマされないようにすることができるでしょうか?」
10章47節 フットノート1

初期の使徒たちとユダヤ人信者たちがペンテコステの日に受けたように(2:4)、コルネリオの家の異邦人信者たちは、聖霊をエコノミー的に、昇天したかしらから直接、受けました。これら二つの事例だけが、新約で聖霊の中のバプテスマと考えられます(1:511:15―16)。この二つの段階によって、からだのかしらは、すべての信者、ユダヤ人と異邦人の両方を、ただ一度限り、彼のからだの中へとバプテスマされたのです(Iコリント12:13)。ですから、その霊の中のバプテスマは、ペンテコステの日とコルネリオの家の両方で、昇天のキリストによって遂行された、成就された事実です。その他のすべて、すなわち第8章のサマリヤの信者たち、第9章のタルソのサウロ、第19章の十二人のエペソの信者たちの事例は、新約の啓示にしたがった聖霊の中のバプテスマとは考えられません。これらの事例は、あの一度限りで成就された聖霊の中のバプテスマを、信者たちが経験したことであったにすぎませんでした。
 本書では、信者たちがエコノミー的に聖霊を受けること、すなわち聖霊が彼らの上に下ることについては、わずか五つの事例が述べられているだけです。そのうち二つは、聖霊の中のバプテスマの成就です。これらは、ペンテコステの日とコルネリオの家で起こった二つの事例です。その他の三つ、サマリヤの信者たち、タルソのサウロ、エペソの十二人の信者たちの事例は、特別と考えられます。それは、キリストのからだのある肢体が手を置いて、彼らをからだに結合させることを必要としている事例です。これら五つ以外の多くの回心の場合、例えば三千人(2:41)、五千人(4:4)、エチオピアの宦官(8:3638―39前半)、アンテオケで信じた多くの人(11:20―2124)、パウロの宣べ伝えの下での第13章と第14章の多くの事例、ピリピのルデヤ(16:14―15)、ピリピの獄吏(16:33)、テサロニケの信者たち(17:4)、ベレヤの信者たち(17:10―12)、アテネの信者たち(17:34)、コリントの会堂の管理人と他の多くの信者たち(18:8)、エペソの信者たち(19:18―19)などの事例には、信者たちが聖霊をエコノミー的に受けた―聖霊が信者たちに下った、という記述はありません。なぜなら、これらすべての事例には、信者たちが正常な状態の下で、信じることを通してキリストのからだの中にもたらされたので、キリストのからだのある肢体が手を置いてからだとの結合にもたらすという、特別な理由がなかったからです。神の新約エコノミーの原則によれば、彼らはみなキリストの中へと信じることを通して、聖霊を命のために本質的に、また力のためにエコノミー的に、正常に受けたのです。


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