ヨハネ  12章24節
12:24 まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.一粒の麦が1地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである.しかし、それが死んだなら、2多くの実を結ぶ。
12章24節 フットノート2

この「多くの実」は、復活におけるキリストの増し加わりとなりました。この増し加わりは、キリストが彼の死と復活を通して入って行かれた栄光です(ルカ24:26)。第12章23節から第17章の終わりまでは、この栄光の奥義を詳しく述べています。キリストは、神と共に栄光を持っておられました(17:5)。彼の受肉は、彼の神聖な栄光を、彼の体の中に隠しました。彼の死と復活を通して、彼の栄光は解き放され、多くの麦粒を生み出し、それが彼の増し加わりとなって、彼の栄光を表現しました。23(23節)、28節(28節)、13:31―32(13:31―32)、14:13(14:13)、15:8(15:8)、16:14(16:14)、17:1(17:1)、4(17:4)、5(17:5)、10(17:10)、22(17:22)、24(17:24)で語られていることは、この栄光と関係があります。この栄光には、第14章から第16章で信者たちに語られた主の最後の言葉によると、三つの具体的な団体の表現があります。それは、第14章2節(14:2)の父の家(召会)、第15章1節から5節(15:1―5)のぶどうの木の枝(キリストのからだの構成要素)、第16章21節(16:21)の新しく生まれた団体の人(新しい人)です。この三つはすべて召会を指しており、召会は、栄光のキリストによって、彼の死と復活を通して生み出された、栄光の増し加わりであることを示しています。この栄光の増し加わりの中で、神の子、キリストは栄光を受けられます。こうして父なる神も、キリストが栄光を受けられること、すなわち、召会を通して完全に表現されることによって(エペソ3:19―21)、栄光を受けられます。この表現は、三一の神の一の中で維持される必要があります。ですから主は、第17章の結びの祈りの中で、特にこの事のために祈られたのです(17:20―23)。キリストのこの栄光の増し加わりは、ヨハネによる福音書に啓示されている奥義の頂点であり、その究極の完成は、やはりヨハネによって書かれた啓示録にある新エルサレムです。新しい聖なる都は、歴代のキリストの増し加わりの集大成となり、その中でキリストの神聖な栄光は、極みまで表現されるでしょう。子なる神が栄光を受けられる時、父なる神も永遠無比の栄光を得られ、それは永遠における彼の完全な表現となるでしょう。こうして、彼の永遠のエコノミーは、永遠にわたって成就されます。


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