ルカ  1章35節
1:35 御使いは彼女に答えて言った、「1聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたを2覆うでしょう.それゆえ、生まれる3聖なる者は、神の子と呼ばれます。
1章35節 フットノート2

変貌の山で(マタイ17:5)、また幕屋の上で(出40:34,38)、雲が覆ったように。この節によれば、聖霊は、マリヤに聖なる子供を身ごもらせる力として、彼女の上に臨んだだけのように見えます。ところが、マタイによる福音書第1章18節(マタイ1:18)と20節(マタイ1:20)は、「マリヤは・・・・聖霊から身ごもっていることが見いだされた」、「彼女の中に生まれたのは、聖霊からです」と告げています。これは、マリヤがその子イエスを産む前に、聖霊からの神聖な本質が、彼女の体内に生まれたことを示します。人の処女における、聖霊からのそのような受胎は、神聖な本質と人の本質の両方をもって達成され、神聖な性質と人の性質との混ざり合いを構成します。この受胎は、第三の性質を生み出すことなく、神聖な性質と人の性質を持っている、全体的な神であり完全な人でもある方、神・人を生み出しました。これが、エホバ救い主、イエスの最高にすばらしい、卓越したパースンです。
 バプテスマのヨハネの受胎と、救い主イエスの受胎とでは、その本質において著しい違いがありました。バプテスマのヨハネの受胎は、年を取った人の本質によって成就された神の奇跡でした。そこには神聖な本質はなく、ただ神聖な力だけで行なわれたものであり、彼は単なる人で、神の霊で満たされてはいましたが(15節)、神の性質は持っていませんでした。ところが、救い主の受胎は神の受肉であり(ヨハネ1:14)、神聖な力によるだけでなく、神聖な本質が人の本質に加えられたものから構成されており、神性と人性の二つの性質を持つ神・人を生み出したのです。受胎を通して、神はご自身を人性に結合されました。それは、彼が肉体において現され(Iテモテ3:16)、人―救い主となるためでした(2:11)。


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